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GWこそ鳥飼八幡宮参拝 その2



みなさん、ごきげんよう。

ゴールデンウィークはごきげんにすごせていますことでしょう。

良い日よりが続いております。

GWこそ、鳥飼八幡宮参拝ということで、ゆかりの日の解説第2回でございます。

【5月3日 憲法記念日】

日本国憲法に関しては、さまざまな見解と意見がありますね。

もっと憲法について理解を深めたいなと考えておるところです。

そうです。憲法について考えを巡らすという日が憲法記念日だとすると、5月3日は鳥飼八幡宮に参拝する日なのです!

日本国憲法は、大日本帝国憲法を改正して昭和21年11月3日公布され、昭和22年5月3日に施行されました。

このことにさまざまな意見があるのは承知です。

ただ一方的にGHQに押し付けられたわけではなく、さまざまな攻防を経て形になったのが日本国憲法です。
GHQに押し付けられた条文もあり、逆に日本側が押し付けた条文もあるのが日本国憲法です。

敗戦した国が必死に戦って、後世の人々に改正を託しつつ最低限、国体を護持できる形にしたものが日本国憲法です。

託された我々がどうするか? は必死に考えなければならない課題の一つですね。

帝国憲法を改正したという体裁には、帝国憲法の精神を少しでも残したいという思いも感じられます。

さて大日本帝国憲法の起草者の一人に、金子堅太郎という名前が見られます。みなさん、ご存知でしょうか?

金子堅太郎は、現福岡市中央区鳥飼に生まれ、藩校修猷館に学んだのち、ハーバード大学に留学。

帰国後は伊藤博文に見出され、内閣総理大臣秘書官として、伊藤や井上毅らとともに、帝国憲法・皇室典範などの起草に携わりました。

その後、農商大臣や司法大臣などの要職を歴任。

そして、日露戦争では開戦時からアメリカに渡り、全米各地で日本の立場を訴える講演を行い、また留学時に知り合ったルーズベルト大統領に協力を仰ぎ、ポーツマス条約締結に貢献した…。

そんなすごい方が地元福岡から出ていることを、あまり知られていないことがとても寂しく思います。

鳥飼八幡宮は現在、令和の大遷宮の最終段階に入りましたが、大正時代にも比較的大規模な遷宮を行いました。
その時は子爵となった金子堅太郎さんに取りまとめていただきました。

御神幸や毎年夏に開催される「子供獅子まわし(こども神輿)」で出るお神輿は、大正遷宮の時に奉納されたもの。

金子先生の書も奉納されています。渓水とは金子先生の号です。



金子先生には大変にお世話になっておりますが、詳しくは空襲で資料が焼失したためわからず、金子先生のお名前も境内に残っていないのが現状です。

最後に、当宮の兼務社である埴安神社に金子堅太郎先生の記念碑が残されています。


「金子堅太郎先生生誕地」

当宮から歩いて10分程度ですので、ぜひ足を伸ばしてみてください。

埴安神社の場所はココをクリック

良いゴールデンウィークをお過ごしくださいませ!