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平野二郎國臣生誕祭(没後百六十年・銅像再建六十周年)



みなさま、ごきげんよう。

昨日3月23日は当宮の兼務社で、幕末の志士である平野二郎國臣を御祭神とする平野神社の祭典を執り行いました。

「平野二郎國臣生誕祭」です。

平野國臣公は、文久11年3月39日にお生まれになりましたので、毎年生誕日に近い土日に開催しております。通常は平野神社にて、5年おきに西公園の麓にある平野二朗國臣像(銅像)前で執り行います。

昨日は没後160年、銅像再建60周年も記念した祭典です。

神事のほか、巫女舞、神道夢想流杖術、吟詠の奉納もあり、直会まで含めると1時間30分ほどの祭典となりました。

たくさんの方にご参列いただき、誠にありがとうございます。

今回は筆者が祭典で奉仕していたため、写真がないことをご了承ください。

國臣公は、平野神社の近く現在でいう福岡市中央区今川にて生誕しました。
氏神である当宮にはよく参拝されていたそうです。

神道夢想流杖術の使い手で、詩歌も得意な文武両道の武士。それでいて武士なら当然剃っていた月代(さかやき)を伸ばしたり、平安時代末期の武士のような装束を着ていたりと、室町時代の傾奇者のような魅力ある人物だったのではないでしょうか。

いわゆる幕末の志士活動をした最初期の人物で、京の公家から、各藩の勤王派とも親交がありました。
特に薩摩藩士とは親しく、國臣公のエピソードでよく知られるのが、錦江湾に身を投げた西郷隆盛を救った、というものです。

長州の高杉晋作とも親しく、晋作さんが長州に折れなくなったときに、國臣公を頼って筑前にやってきたこともあるそうです。そのときに晋作さんが当宮を参拝されたという逸話も神社には伝わっています。

國臣公は大政奉還される2年前に亡くなってしまいました(投獄中に斬首)。大政奉還の2年間のことです。

平野二郎國臣公の銅像は大正4(1915)年に建立されましたが、戦時供出されています。

現在は戦後の昭和39(1964)年の平野國臣百年祭で再建されたものです。碑文は金子堅太郎氏によるもので、再建の時も同じ碑文が記されています。

國臣公は現在、幕末の志士としては知名度はそれほど高くないようですが、幕末ではかなりの著名人でした。ただ有名なだけでなく、慕われ頼られる方だったようです。

このような先達が身近にいたことをお知らせし、顕彰していくことも私たちの役割だと考えております。

西公園は桜の名所です。これから花見をされる方も多いことでしょう。ぜひ平野二朗國臣像を見に行かれてください。

そして平野神社へのご参拝をしてください。

鳥飼八幡宮では、平野神社の御朱印(初穂料500円)、そして國臣公の小冊子もお配りしております(こちらは無料)。

よろしくお願い申し上げます。