みなさま、ごきげんよう。
旧本殿の解体がすすみ、桜の花が満開になり、散りはじめています。
はかなげな春本番です。
旧本殿の屋根が取り払われ、空が見えてます。本殿の大きさが際立ちます。とても立派な神社だったことが実感できました。
新しい神殿も末永く愛されるよう、数百年後に文化財となるようにしつらえ、守っていきたいです。
【欄間の装飾】
上の写真で、欄間のところに焼けていない白い部分があるのが分かりますか?
3つの部屋がありますが、八幡さまの三柱のお神さまが鎮座されていました。手前側の蟇股(かえるまた)は鳩の浮き彫りです。鳩は八幡さまの御使ですね。夫婦でしょうか、それぞれ2羽の鳩が浮き彫りになっていました。縁結びの神社と言われるゆえんです。
奥側の蟇股は、羽目板で最初は分かりませんでしたが、板を外すと…。梵字(サンスクリット)のような字が取り付けてあった痕跡があります。
梵字がいつ外されたのか分かりませんが、幕末から明治初期にあった廃仏毀釈の時期かもしれません。神社とお寺は同じ場所にあるのが通例で、神道のお神さまは仏教の仏が姿を現したものとされていました(本地垂迹説)。特に八幡さまは、仏教の守護神とされたこともあって、仏教との親和性がとても高く、八幡大菩薩とお呼びしたり、僧形で描かれたり彫像されたりしました。
サンスクリット文字は何が描かれたのというと、棟札がヒントとなります。
中央は「キリーク」。八幡さま、応神天皇の本地仏である阿弥陀如来を指しているのではないでしょうか。左下は「キャ」。十一面観音菩薩のシンボルです。玉依姫命の本地仏とされています。右下はかすれていますがおそらく「ベイ」。薬師如来や毘沙門天のシンボルです。神功皇后の本地仏を薬師如来としていたのでしょうか。
本地仏に関しては諸説あり、お社によって解釈が異なるので一概にはいえませんが、鳥飼八幡宮ではこのように信仰されていたのでしょう。
かつては祝詞と同じように、真言(マントラ)を唱えながら参拝する風習があったのかもしれません。
【龍の装飾】
本殿の床下から想定外のものが発見されました。
ご神体をお納めしていた部屋の真下に、置いてありました。五色の雲を背負った龍神さまでしょうか。
現在修復をお願いしていまして、詳細は分かりませんが、色鮮やかな彫刻だったことは想像できます。
畏れ多いので詳しくは省きますが、ご神体をお納めしていたものにも龍の装飾が施されていました。鳥飼八幡宮のお神さまは龍神に守られておられたのでしょう。
この龍神さまは綺麗になり、新しくなった当社でご覧いただけると思います。詳細がわからればまたお知らせいたします。
【本殿の外壁装飾】
旧本殿は覆屋で囲われていました。雨風を凌ぐために設けられたのですが、本殿壁面の装飾は全く見えませんでした。
本殿の背面の蟇股も面白いです。
波と渦と花の組み合わせで、三者三様です。三柱のうち、応神天皇の部屋の蟇股は渦に菊の花。それぞれの組み合わせに意味があると思いますが、そちらも調査中です。
205年ぶりの建て直し、ということではじまりました遷宮事業です。205年の重みもずっしりとしていますが、もっと時間を遡ることができそうです。代々バトンタッチされてきた思いをきちんと、次世代に渡していきたいと、決意を新たにしました。