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鳥飼八幡宮と金子堅太郎







今日は100年前の遷宮の際 奉賛会長を務めた金子堅太郎について書いてみます。

鳥飼八幡宮には金子堅太郎からの奉納いただいた書や100年前の遷宮時に奉納された神輿が残ります。

当時の宮司 山内勝太郎と金子堅太郎は親交が大変深かったと古老からの口伝が残っています。

金子堅太郎は福岡市鳥飼出身。家は足軽の身分でしたが、黒田長溥公の援助でアメリカのハーバード大学に留学。帰国後、新政府に出仕します。金子堅太郎には、3つの大きな功績があります。

第1は、総理大臣伊藤博文を援けて大日本帝国憲法の草案をつくったこと。

第2は、日露戦争のとき、ハーバード時代の学友だったセオドア・ルーズベルト大統領の支援をえて、外債を募集したこと、講和実現につくしたこと。

第3は、明治維新史の編纂です。

それぞれの功で、男爵・子爵・伯爵とのぼっています。
大臣も、第三次伊藤内閣の農商務相、第四次伊藤内閣の司法相、最後は枢密顧問官として、昭和17年5月16日に90歳でなくなりました。
地元にも修猷館の復興、九州大学の誘致、八幡製鉄所の設置など、尽力されています。
福岡出身者で、日本の近代化に足跡をのこした戦前第一の人物です。

このような偉人に支えられ鳥飼八幡宮は現在があるのですね。

令和3年には遷宮を迎えます。

現在の奉賛会長は九電工社長 会長 相談役を務められた橋田紘一氏です。
人生最後の大仕事とご尽力いただいております。

遷宮を迎える今、地域の人びとにとって「祈り・集い・活動ができる場」として、伝統を踏襲しながら鳥飼八幡宮の新しい未来を作っていきたいと思います。