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鳥飼八幡宮を支えた偉人賢人達


境内の石碑


三井財閥総帥 團琢磨

電力の鬼 松永安左衛門

日本国憲法の草案を作った 金子堅太郎

境内の石碑に松永安左衛門 團琢磨の名前が残されています。

お二人とも福岡が誇る偉人です。

松永安左衛門については、何回かブログに書きましたので、今回は團琢磨について書いてみたいと思います。

團琢磨(だんたくま)住居跡にある説明板によるとこのように書かれています。
(1858年~1932年)
 團琢磨は、安政5(1858)年、荒戸4番丁(現在の荒戸3丁目)で福岡藩士の馬廻(うままわり)役・神屋宅之丞(こうやたくのじょう)の四男として生まれ、12歳の時に勘定奉行(かんじょうぶぎょう)・團尚静(なおしず)の養子となりました。当時、ここに團家の住居がありました。明治4(1871)年に、黒田家の海外留学生として金子堅太郎とともに岩倉使節団に同行して渡米し、マサチューセッツ工科大学で鉱山学を学びました。
 明治17(1884)年から工部省に勤務し、明治21(1888)年に三池鉱山が三井に払い下げられるときに移籍し三池炭鉱社の事務長に就任、三池港の築港、鉄道の敷設など、近代的な炭鉱経営に敏腕をふるいました。大正3(1914)年には三井合名会社の理事長、つまり三井財閥の総帥となり、財界のリーダーとして活躍しました。團琢磨は当仁地区出身の偉人・賢人の一人です。

鳥飼八幡宮の100年ほど前の遷宮では 会長 金子堅太郎 幹事長に團琢磨だったそうです。

金子堅太郎についてはまた次回ブログで書きますが、私としては大河ドラマで取り上げてもおかしくない偉人だと思うのです。

このような偉人達に篤く信仰され、支えていただいた鳥飼八幡宮。

間も無く次の遷宮を迎えます。

気を引き締めて神明奉仕に励まなくては。