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12月4日は宮座献饌祭です。

宮座献饌祭(みやざけんせんさい)は、12月4日に神職と八人の《宮座(ミヤザ)》によって執り行われています。鳥飼八幡宮の《宮座》は株座で、江戸時代の人数は不明ですが、明治7年(1874)の「宮座規則帳」では12人、昭和17年(1942)の調査記録では10人ですから、少しずつ減少していることがわかります。
  《宮座(ミヤザ)》の家は、鳥飼と別府(べふ)にあり、2人1組で1年間の当番を務めることになっています。主たる役割を担う人を《大行司(ダイギョウジ)》、補佐役を《小行司(コギョウジ)》といい、鳥飼・別府の区別なしに成員を二分して、一方から《大行司》、もう一方から《小行司》を選ぶのが通例です。かつて《御九日》が10月19日に行われていた頃は、《大行司》宅を《本座(ホンザ)》といい、17日になると神前への供物(くもつ)の準備をするために《宮座(ミヤザ)》の人々が集まるものでした。
  明治8年(1875)の「御供米配当割付覚」によれば、当時、「御供(ごく)」28本、「御鏡餅」4重と2重、「蒔餅(まきもち)」6升、「掛魚(かけのうお)」3掛、「御神酒」、「御野菜」、「弊(へい)ほくり」2本、「打蒔(うちまき)」1升、「中折紙」4帖、「栗はいばし」26膳の供物が準備されていたことがわかります。「御供」は蒸した糯米(もちごめ)《御強飯(オコワイ)》を藁苞(わらづと)で包み込んだもので、供物の中心でした。また「御鏡餅」「蒔餅」は、《宮座(ミヤザ)》が藁を口にくわえ、細長い樫(かし)の《さし杵(サシギネ)》で搗(つ)き上げました。
  この《宮座(ミヤザ)》は、典型的な株座の形式を持ち、さらに多様な形態の供物を調製し続けていた点で、周辺地域の宮座を比較する際の指標となる存在です。




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当番になった宮座の方には、大変重圧のかかる神事ですが、皆様方で力を合わせ神事を作りあげて、宮座献饌祭を永代受け継いでまいりましょう。

お祭りは、お神様に奉納する神事です。捧げものは、芸能や神饌などですが、お神様が一番慶ばれるのは、参加される方の笑顔です。

機会があれば、積極的にお祭りに参加されて、日本の伝統に触れられて下さい。

お神様も皆様方の参拝を待っておられますよ‼