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鳥飼八幡宮兼務神社 平野神社



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平野神社  今川一丁目に、福岡藩が生んだ幕末の勤王志士・平野國臣を祀った平野神社があります。國臣は、文政11年(1828年)、この地に生まれました。


 國臣が24歳のとき、宗像市大島の宗像大社中津宮の営繕に関わり、当時、島にかくまわれていた薩摩藩士の北条右門を知り、勤王に目覚めました。


 31歳で脱藩して上京。西郷隆盛らと知り合い、鹿児島錦江湾で僧の月照と西郷が心中(西郷は蘇生)した月照事件にも立ち会っています。こうして國臣が勤王の志士として歴史の舞台に登場します。


 その後、國臣は各地を転々とします。35歳のときに、当時の福岡藩11代藩主・黒田長溥に尊王を諫言し、唐人町の浜側にあった枡木屋(ますごや)の獄に投獄されますが、翌年出獄します。
 しかしながら、但馬地方(現在の兵庫県)の勤王の農兵を組織して挙兵した生野の変に参加し、再び京都六角牢に投獄されて新撰組に処刑されます。元治元年(1864年)、明治維新のわずか4年前に、日本の夜明けに身命を尽くした國臣は37歳でその生涯を終えました。


 國臣はまた、優れた歌人としても有名です。福岡にも居住した勤王歌人、野村望東尼との歌のやり取りもよく知られていますが、國臣の一番有名な歌はやはり「我胸の 燃ゆる思ひに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」でしょう。


 この歌は、國臣が薩摩に向かったときに諸事情で入国できず、薩摩人の勤王の志が自分と比べて薄いという皮肉が込められているという説もあります。


 維新に乗り遅れた感のある福岡藩にとっては、唯一人ともいえる勤王の志士、平野國臣。西公園には立派な銅像も建立されています。

毎年 國臣の誕生日には生誕祭が斎行されております。

本年度は、五年に一度の西公園銅像前での生誕祭の斎行となります。

午前10時半より斎行致します。