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矢大臣さま(御神幸レポート)


みなさま、ごきげんよう。おはようございます。

205年ぶりの令和の大遷宮の第一幕の締めくくりである御神幸は、令和5年3月12日日曜日に行われました。
奉賛会校区理事の皆さまを中心に、氏子区域の方々の多大なご協力のおかげで、盛大にかつ無事に御神幸は催行されました。

感謝の言葉しかありません。

御神幸は遷宮ごとに行われますので、次の開催は25年後になる予定です。
25年後の方々に継承する意味も含めて、何回かにわたってレポートをお送りいたします。

御神幸を迎える前にさまざまな準備を行います。
地元の今川の方から、旗の奉納がありました。


以前のものは汚れていて破れもあったので、御神幸に合わせて製作していただきました。

旗がひるがえるとお祭り! というムードが漂いますね。

同時に、神門に座し神社を守護している矢大臣さんの御旅所を唐津街道沿いに設けていただきました。
お神様を守る矢大臣さんですから、御神幸で神社を離れるお神様を守護せねばなりません。



神門からお連れするときに、矢大臣さんはあっれもない姿になるのですが、矢大臣さんの首の部分に奉納年が。
はっきり読めませんでしたが「元禄十…」とありました。
元禄十七年としても、1704年。元禄十年だったら1697年。いずれにしても三百年以上もお神様をお守りし続けてきた矢大臣さんです。

寄木造りに漆喰を盛り、着色した木造漆喰神像です。平成13年の遷宮時に修復されたとはいえ、江戸時代前期のものとは思えません。矢大臣さんが300年以上も前だとすると、この神門はさらに古いものです。
かねてから当宮の中で一番古い建物はご神門だ、とされていました。それを裏付ける内容ですね。

いつもは神社におられる矢大臣さんを一旦地元の御旅所に安置して、御神幸に備えるのが慣わしです。
御旅所も大変立派なものです。
西町の獅子頭と矢大臣はここから御神幸に出発されます。

このように氏子の方が何百年にもわたって受け継いでいただいのだな…、と胸にしみました。
鳥飼八幡宮は氏子のみなさまの思いがご縁で創建された神社ですので、これが消えてしまうと神社もなくなってしまうな、もっと頑張らないと! と思いました。

遷宮は建物のメンテナンスということだけではなく、思いのメンテナンスもありますね。
西町のみなさま、ありがとうございました。
氏子区域ではこの世に氏子の方が継承されています。
重ね重ね、感謝です。
(ちなみに西町とは、江戸時代の福岡城下町で城の西側にあったので西町です。現在の今川を中心としたエリアです)