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旧本殿木守(旧本殿加工木材の木のお守り)の話(1)

みなさん、ごきげんよう♪

本日は旧本殿の木材を再利用した木のお守りをご紹介します。

そもそもみなさん、旧本殿をご覧になったことはありますか? 鳥飼八幡宮といえば、↓の写真のイメージですね。ただ、下の写真は拝殿です。



本殿は↓の建物です。ものすごく背の高い建物です。最大10メートルくらいはあったのではないでしょうか。

しかし外に出ている建物は、いわゆる覆屋(おおいや)で、明治時代にその当時すでに老朽化が進んでいた本殿を守るために建てられた建屋です。年月がたち、すでに風格があります。



そう私たちは、本当の本殿の姿を見たことがないんです。
解体工事の時に、まず覆屋を取り壊して、いったん本当の本殿の姿を確認したかったのですが、老朽化のためにそのような工事の仕方ができませんでした…。



内部でも本殿の姿が見られてこんな感じです。

階段の上御簾の向こうに垣間見えるのが本殿です。階(きざはし=階段)の上、神職が祝詞を読み上げるところは幣殿(へいでん)とといいます。

御簾の向こうに御神体を収める部屋が3室あるのですが、その先は神職でも何年前に開いたことか…。御神体は畏れ多いものです。

本殿に関しては、神社に伝承が残っています。

本殿は黒田長政公が建てられたものだと。黒田長政公とは、筑前黒田藩の初代藩主です。関ヶ原の合戦で功を上げ、豊前中津から入府されました。

福岡城と城下町を建設する際、鳥飼八幡宮がもともとあったところに、黒田家の別荘を建てることになり、現在地へ遷座したのは

長政公建築となると400年以上も前に時代はさかのぼりますから、さすがにそこまで古くはないだろうと私たちは思っていました。

ところが、解体時の調査で、江戸時代前半までさかのぼる可能性が指摘されました。
具体的には装飾の様式で、時代を遡るほど浮き彫りが浅いそうです。そして時代が降ってくるほど、装飾性が高く技巧的になってくるそうです。

 

写真左は、本殿の右側の角ですが、浮き彫りがこの浅さが時代の古さの証明だそうです。
右側は拝殿の浮き彫りの装飾です。拝殿は文化14年(1817)の建物ですが、確かにデコラティブです。これはこれでカッコいいです。

当宮に伝わる「本殿は黒田長政公が建てられた」という話も、あながち疑わしい話ではないかもしれません。

江戸時代も遷宮は数十年おきにされていましたので、本殿の建物全てが江戸時代はじめの建材は残ってはいないでしょうが、御神体の部屋に近い部材はなかなか手を入れられないはずです。

本殿の木材には400年以上も前のものが使われている可能性もあります。