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旧神殿の歴史的なもの その2

みなさま、ご機嫌よろしゅうございます。
動くとうっすらと汗がにじむような陽気が続いております。
桜のつぼみも膨らんでまいりました。



さて当社の旧神殿は本日、防音の囲いで覆われました。
屋根の上まで足場がつくられ、正面からはもう見えません。
覆われて実感する旧神殿の立派さです。

古い本殿は、屋根の銅板を1枚ずつ剥がし、また資料として残す部材、お札やお守りなど記念品をつくる材料となる木材などを選り分けつつ、調査をしつつ解体するので、高い足場が必要となるのです。
解体がはじまるのは寂しいですが、作業中に新しい発見があるのではないかとワクワクもしています。
いよいよ来週より本格的な解体作業に入ります。

 

【彫刻】


 

 

柱や海老虹梁・虹梁などに施されている浮き彫りも、同じ建物の中でも特徴があります。
左上から順に本殿、幣殿、拝殿、拝殿の蟇股部分の浮き彫りですが、古いものほど簡素で、彫りが浅いそうです。本殿の部分が一番古く、江戸前期くらいまでさかのぼる可能性もあります。幣殿は棟札情報から、1817年ごろの形式で、拝殿は江戸の終わりから明治時代ごろのもの。松の蟇股の下の木彫りは細かく彫り込まれています。

このように同じ建物の装飾を見比べることで、年代の変化を読み取れるものは貴重です。
これらの部位は保存して、資料館などで展示できたらいいな、と考えております。

 

【擬宝珠】


 

渡殿の階の擬宝珠(ぎぼし)も面白いですね。上の方の擬宝珠(写真左)は木製ですが、下の方は鉄製です。これも木製が古い形式です。当社はもともと本殿と拝殿が分かれた構造でしたが、文化14年(1817)に渡殿が設置されたようで、下の方の階はその時につくられたものでしょう。木造の擬宝珠は保存する予定です。

この度の遷宮に際し、福岡県、福岡市の文化財の方々に簡易的な調査をしていただきました。私たちが考えている以上に、福岡県の神社建築の貴重な資料となるものがあることがわかってきました。
全く新しい神殿を造営しますが、近世福岡の資料を後世に伝えていきたいと決意もしました。鳥飼八幡宮の歴史、地域の歴史、神社に関わった方々の歴史を展示する資料館も創りたいと考えています。(続く)