
おはよう御座います。
鳥飼八幡宮宮司山内です。
一泊二日にて瀬戸内笠岡諸島、備讃諸島花崗岩と石切技術にふれるべく、石の島を巡る学びの旅へ行ってまいりました。

笠岡諸島、備讃諸島は岡山県と香川県にわたる島です。そこには、巨石を切り、運び、石とともに生きてきた人々の稀有な文化が今も息づいています。
日本の近代化が進んだ明治後期から昭和初期にかけて,日本銀行本店本館をはじめ,明治生命館などの日本を代表する近代洋風建築等が建てられましたが,そこには瀬戸内海の島々,とりわけ備讃諸島で産まれた花崗岩が使われてきました。

一方で,我が国が世界に誇る石造建造物である,近世城郭の石垣。その代表が,大坂城の石垣です。大坂城は,徳川幕府が西国・北国の大名63藩64家を大動員して,元和6年(1620)から寛永6年(1629)の間に再建しました。大名たちは競うように巨大な石を運び込み,壮大な石垣を築き上げました。この石垣にも,遠く離れた備讃諸島から運ばれてきた石材が大量に使われています。
鳥飼八幡宮の拝殿に据えられている10本の巨石も岡山県の犬島から切り出された犬島石です。
北木島では実際に巨石を切り出している石切場へ案内をいただきました。
そこでは、日本の歴史とともに歩んできた伝統と悠久の時を感じることができました。

丁場に近づくと削岩機の連打する唸るような音が響いておりました。数万年の眠りから石が目を覚まします。丁場は70メートルの大きな穴の下にあり圧倒的な迫力です。職人たちが黙々と出際よく作業されていました。切り出された巨石はチェーンでゆっくりと地上に引き上げられます。厳しい作業です。
遷宮で伝承すべきは、信仰、職人の技術と、神社にる関わる全ての人々の意識と熱、そして知見です。

今回のように石を深く知る学びの旅をしなければ私が石を語ることは出来ないと思います。
また私が遷宮を経験しなければ石を学ぼうともしなかったでしょう。
今回の旅を通じ良い学びとなりました。
悠久の時の流れに想いを馳せながら神明奉仕に励みます。