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冥福を祈ります。





8月9日は長崎原爆の日です。昭和20年(1945)、アメリカ軍は6日の広島に続いて長崎に第2の原爆を投下しました。午前11時2分のことです。

原爆投下から72年を迎えた9日、長崎には全国から被爆者や遺族が集い、追悼の祈りに包まれています。原爆は7万人もの命を一瞬で奪い、生き残った人々の体をむしばんできました。
非人道的な核兵器を禁止する条約が成立して初めての「原爆の日」。被爆者は核兵器廃絶の実現を願い、若い世代は戦争の恐ろしさを後世に伝えると誓いましょう。

広島の原爆はリトル・ボーイと呼ばれましたが、長崎の原爆はファット・マンと呼ばれます。広島の原爆はウラン爆弾でしたがこちらはプルトニウム爆弾で、広島より強力、TNT火薬21000トン分の威力とされます。しかし平地の広島に比べて谷間の長崎は、地形が原爆の被害の拡大を防ぎました。それでもこの原爆で数ヶ月以内に7万人が亡くなり、その後亡くなった人を入れると、やはり15万人ほどの人が命を落としたとされます。長崎にしても広島にしても、役所の記録が失われた上に、朝鮮などから徴用されて働きに来ていた人の数や一時的に疎開してきていた人などの数は分からないものが多く、本当の被害者数というのは永遠に不明のままでしょう。
広島に原爆を落とした飛行機はエノラ・ゲイですが、長崎に原爆を落としたのはボックス・カーというB29です。エノラ・ゲイと同様早朝テニアン島を出発し、当初第一目標の小倉上空に達しますが、天候が悪かったため投下を断念、目標を急遽第二目標の長崎に変更しました。そして長崎でも市の中心部には投下できず、少し北部の浦上地区、松山町上空9600mから投下。高度500mで炸裂した原爆はわずか0.2秒後には半径200mもの火球を作ります。この火球の表面温度は太陽の表面温度並の8000度にも達しました。
この火球のエネルギーはその大半が爆風となって長崎市を壊滅しました。

今日、長崎の爆心地近くの平和公園で、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われます。神の愛と仏の慈悲を象徴したといわれる北村西望の巨大な平和祈念像の前で行われる式典は、広島の式典が世界に向けて核廃絶を訴えるメッセージであるのに比して、恒久平和を願う「祈りの式典」と称されます。
長崎・広島の原爆の犠牲者、各地の空襲でなくなった方々、南方その他で玉砕した人々・させられてしまった人々、各地の戦闘で亡くなった人達、無意味な虐殺で命を落とした人達、この戦争で亡くなった全ての人たちの冥福を祈ります。